Welfare vs. Breeding のジレンマ|ホッキョクグマ・ゴーゴの死から考える[3]

オランウータンの赤ちゃん にっぽんの動物園

はじめに

2026年2月によこはま動物園ズーラシアでオスのホッキョクグマ「ゴーゴ」が急死した。他園への移動直前に麻酔下で死亡したことは、多くの動物園ファンの間で話題となり、ズーラシアへの誹謗中傷も相次いだ。

ZoologyLoreでは、このニュースを出発点として、「動物園での繁殖」をテーマとする全4回の特集を組むことにした。

前回、動物園における繁殖は、個々の園の判断によるものではなく、血統管理や個体移動を含む制度的な枠組みの中で行われていることを確認した。希少種の繁殖が展示を継続することのみを目的としているのではなく、社会的要請のもとで成立している営みであることも理解した。

しかし、いくらホッキョクグマという種の保存が大切だとしても、「ゴーゴの死」という事実に変わりはない。死に至らずとも、繁殖のために動物園を移動し、ストレスで拒食になったり病気になったりする個体がいるのも事実である。

つまり動物園の繁殖は、種の存続に資する可能性を持つ一方で、個体に心身のダメージを与える可能性が大いにあるということだ。今回はこのような「種の保存」と「動物福祉」の間に存在する緊張関係を考えていきたい。

「動物福祉」と繁殖の関係

近年、動物園をめぐる議論において重要な位置を占めているのが、「動物福祉(animal welfare)」という概念である。

かつて動物園は「珍しい動物を見せる場所」だった。しかし現在では、動物がどのような環境で飼育され、どのような状態で生きているのかが問われるようになっている。平たく言えば、「良く生きているかどうか」が評価の基準となったのである。この変化は、環境エンリッチメントを充実させ、飼育環境を改善していこうという気風を生み出した。

一方で、繁殖が動物福祉とどのように関係するのかを考えることは難しい。

すでに見てきたように、繁殖のために動物を移動させたり、見知らぬ個体と突然同居をスタートさせたりすることは、動物にとって大きなストレスになりうる。

しかし、ペアとの相性がよく、繁殖にも成功すれば親となる動物は子どもを世話することになり、それは最大のエンリッチメントなのではないか、という考え方も存在する。

逆に、もし親個体が育児放棄した場合、赤ちゃんは人工哺育に切り替えて世話をすることになる。人工哺育の場合、赤ちゃんが成長した後も他の個体との付き合い方がわからず、結局孤立してしまうケースもよく見られる。(この場合は赤ちゃんの動物福祉の質が大きく低下してしまう。)

つまり、結局動物福祉と繁殖の関係は、結果論で語ることを避けられないところがある。動物のペアの相性がよく繁殖が成功するかどうか、親個体が育児放棄をせずに赤ちゃんを世話するのかなどは、やってみないことには分からないからである。

以上のジレンマを理解することが、今回の議論の出発点となる。

繁殖に伴うリスク

個体の移動、ペアリング、そして必要に応じた麻酔や医療処置。これらはすべて、繁殖計画の一部として日常的に実施されていることである。

これらは、個体にとってストレスやリスクを伴う。安全性が向上しているとはいえ、一定の危険を常に伴う。

さらに、飼育下という環境そのものが、動物の行動や生理に影響を与えることも知られている。世代を重ねるにつれて、動物の行動が変化する可能性が指摘されている。(The Environmental Literacy Council)

すべての命を守ることは可能か

さらに、動物園での繁殖はもう一つの難しい問題を伴う。
それは、生まれてくる個体をどのように扱うのかという問いである。

動物園のスペースと予算には限界があり、希少種とはいえ、やたらと数が増えてしまうと、今度は1頭当たりの敷地が狭くなり、場合によっては余剰動物として安楽殺せざるを得ないこともある。血統管理の観点から見ても、すべての個体が繁殖に関与すべきとは限らない。その結果として、繁殖の制限や個体数の調整が必要になる。

だが、人間は動物の生と死をどこまで管理してよいのかという倫理的な問題は、論じるのが非常が難しいテーマである。(動物倫理学についてはすでに国内外を問わず多くの書籍が出版されているため、興味のある方はインターネットで検索していただきたい。)

結論を急ぐことは難しくが、動物園が「すべての命を等しく守る」ことを前提としていない現実を知ることは大きな一歩であると思う。(他の例としては、エサ用動物の存在があげられるが、ここでは深掘りしない。)

種か、個体か

ここまで見てきたように、動物園の繁殖は、種の保存と個体の福祉とのあいだで揺れ動いている。

種の存続という観点に立てば、ある程度のリスクは許容されるべきだという考え方が成り立つ。一方で、個体の幸福を重視する立場ではそのような考え方にはならないだろう。

この対立は、どちらが正しいかという二元論の問題ではない。
どちらの立場にも、それぞれの合理性と限界が存在するからである。

飼育下の繁殖は、希少種を絶滅の危機から守る有効な手段となりうる一方で、場合によっては長期的な適応能力の低下を招く可能性も指摘されている。(The Environmental Literacy Council)

つまり、ここで私たちが直面しているのは、「どちらかを選べばよい」という問題ではなく、どちらを選んでも一定の代償を伴う構造なのである。

まとめ

最後に、以上のことを踏まえて、あたらめて動物園の果たすべき役割を考えてみたい。

動物園に求められているのは、ただ動物を増やすことでも、ただ展示を続けることでもない。種の保存と個体の福祉、そのどちらにも真摯に向き合いながら、限られた条件の中でよりよい選択を積み重ねていくことである。

その過程で生じる葛藤や失敗も含めて社会に開き、来園者とともに考えていくこと——それこそが、現代の動物園に課された重要な役割なのではないだろうか。そして、私たち来園者は、そうした動物園の努力や工夫を理解し、動物園とともにできることはないか考えてみるべきではないだろうか。こうした市民社会の結束が、私たちの知らない間にも数を減らす希少動物を少しでも多く未来に残すことにつながりうると考えている。

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