『屠体給餌』を知っていますか?――野生動物との向き合い方と、動物園の動物福祉について考える(前編)

どうぶつと人間

はじめに

「屠体給餌(とたいきゅうじ)」とは、シカやイノシシなど駆除された野生動物を、毛皮や骨がついたままの状態で動物園のライオンやトラといった肉食動物に与える取り組みのことです。

この方法は単なる「餌やり」ではありません。骨や皮を含む獲物を食べることは、動物の自然な採食行動を引き出し、動物福祉の向上につながると考えられています。また、野生動物の駆除は農作物被害対策として不可欠ですが、その多くが廃棄されている現状もあります。屠体給餌は「命を無駄にしない」取り組みとしても注目されています。

一方で、感染症リスクや処理のコスト、安定的な供給体制の未整備など、課題も多く存在します。今回は、2023年6月25日に北海道の円山動物園で開かれたシンポジウム「北海道における捕獲された野生動物を用いた屠体給餌の可能性」をもとに、屠体給餌の意義と課題を整理していきます。

シンポジウムは、YouTubeで公開されています。ぜひ記事を読み終えたら、視聴してみてください。

屠体給餌の現状と海外事例

日本大学の細谷忠嗣さんは「捕獲個体を用いた屠体給餌:地域における獣害問題と動物園の動物福祉をつなぐ取り組み」と題して講演しました。

細谷さんはまず、日本各地で拡大するシカやイノシシによる農作物被害の深刻さを示しました。2021年度には全国でニホンジカによる被害が61億円、イノシシによる被害が39億円にのぼっています。北海道でもエゾシカの農業被害は44.8億円に達しており、個体数調整のため大規模な捕獲が行われています。

しかし、捕獲された動物の約9割は利用されず、廃棄されています。本来は資源となるはずの命が捨てられている現状は、大きな課題だと言えるでしょう。

一方、動物園の肉食獣たちは、カット等の処理をした肉を与えられることが多く、野生で必要とされる「探す」「襲う」「皮を裂く」といった行動が満たされません。この行動欲求を部分的にでも再現する手法として、欧米では10年ほど前から屠体給餌が行われています。研究では、屠体給餌によって動物の異常行動が減少することも報告されています。

日本では家畜の屠体が流通制度上入手困難であるため、2017年に福岡県の大牟田市動物園が捕獲個体を用いた屠体給餌を実施したのが始まりです。その後、全国の動物園で試みが広がり、愛知県の豊橋動植物公園では定期的に行う体制を整えています。

屠体給餌のメリット

屠体給餌には以下のようなメリットがあります。

  • 動物福祉の向上:肉食獣が骨や皮を含む獲物を食べることで、時間をかけた採食やかじる行動が引き出され、退屈による常同行動を抑える効果があります。
  • 倫理的意義:農作物被害対策で捕獲された個体を廃棄せず活用することは、「命を無駄にしない」社会的メッセージとなります。
  • 教育的価値:動物園で屠体給餌を公開すれば、獣害や野生動物との共生について市民が考えるきっかけになります。実際にアンケートでは、参加者の8割以上が屠体給餌を肯定的に受け止め、子どもにも見せるべきだと答えています。

ただし、メリットだけで語るのは片手落ちです。実際には衛生管理、供給コスト、市民感情など、解決すべき課題が多く残っています。このあたりは、後編で見ていきましょう。

論点の整理

今回は、屠体給餌がなぜ注目され、どのような背景のもとで導入されてきたかを見てきました。そこには「動物福祉の向上」と「駆除個体の有効活用」という二つの課題を結びつける意義があります。一方で、野生動物は寄生虫やウイルスを持つ可能性があり、食肉と同等の衛生基準を満たす処理が不可欠です。

つまり、屠体給餌は「良いことだから広げればいい」と単純に言えるものではなく、動物園、行政、処理会社、市民それぞれの立場が絡み合う複雑な課題であることが見えてきます。

まとめ

屠体給餌は、野生動物の命を活かしつつ、動物園の動物たちにより自然に近い行動を取り戻させる可能性を秘めています。しかし同時に、感染症リスクやコストの問題を抱える繊細なテーマです。次回の後編では、円山動物園での実践例や現場の声、行政と企業の視点を取り上げながら、より具体的な課題と展望を考えていきます。

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